おしゃべり10回目、今回はハロウィ(ー)ンから生まれたギモンについてつづります。あえて時流にのってみたところがありますが…(笑)。
おかしをくれなきゃ おなかがすくよ
ハロウィ(ー)ン自体は今は昔、それこそ古来から存在していますが、ハロウィ(ー)ンについて妙に騒がれるようになったのはここ数年でいきなりのような気がします。はてさて、何か理由があるんでしょうかね?
そもそもハロウィ(ー)ンは調べものによると、「収穫祭」ならびに日本でいう「お盆」のような位置づけであるといいます(細かい部分はここでは省略しますね…)。それがああまでして騒ぎになりますから、文字通りトリックがあるとにらんでいます。
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ここで気になるのが、ハロウィ(ー)ンの何がそんなに大多数の人々をトリックにはめているのか?というところです。これの答えなのですが、正直なところパッと答えられる人はおそらくいないと思います。現にわたしもそうです。
日本は流行における集団行動を特に好む国とも言われているので、単にノリで行っているだけなのかもしれません。ただ、案外それがそのまま真実のような気もするというのが面白いところだと思います、あくまでも直感なのですが…(^^;)
その理由の1つに、わたしがここ数日、学校の文化祭を堪能していることもあります。実際に、ここ数日はあきれかえるほどに文化祭にまつわる記事をつづっているほどなのですが、わたしが文化祭を好む理由と、前述のハロウィ(ー)ンのそれが密接に関係していると思っています。その共通点というと、うまり…「お祭り気分」なんでしょうか?
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具体的な理由や背景などは特になく、日本人のお祭り好きな嗜好と見事にマッチした結果だと思います。
もともと海外のハロウィ(ー)ンの風習の1つであった「仮装」をはじめとした馴染みやすさや、さらにそこから生じる一種の解放感(現実逃避的な?)による高揚は、文化祭好きなわたしにも気持ちがわかる感じがします(由来なども考慮して、さすがに「日本のハロウィ(ー)ン」に直接参加することはなさそうですけど…)。
もともと海外のハロウィ(ー)ンの風習の1つであった「仮装」をはじめとした馴染みやすさや、さらにそこから生じる一種の解放感(現実逃避的な?)による高揚は、文化祭好きなわたしにも気持ちがわかる感じがします(由来なども考慮して、さすがに「日本のハロウィ(ー)ン」に直接参加することはなさそうですけど…)。
お祭りの何が良い、というよりも、のんきに頭を空っぽにしながら歩き回ったりはしゃいだり、そうした子どものような、いわゆる「お子」な要素がトリックスターの正体では?と考えると、自分でも結構合点がいくのですが。ただ、こうした童心を忘れないことは、人生をより楽しむ上での1つのヒントであったりするのかもしれません。
他にも、10月のほどよく涼しげな気候も相まって、あれほどまでに騒がれているのではないかとも思います(度がすぎると「あれ」なことにもなりかねませんが…。)そう考えると、夏の花火なども思い切って秋に回してもらえれば……。風流的にも別におかしくはなさそうなのですが、いかがでしょう…?
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ここまでお読みになってくれてありがとうございます。
余談ですが、「トリックスター(いたずらもの)」というワード、語感も意味も何気にお気に入りだったりします(罠)。

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